2010年12月17日

一利もない、のか?

表現と言うのは両端が担保されて、自由な選択肢の中から選ばれることによって初めて意味を持つ。端的な例で言うと、某隣国で国家主席万歳を連呼する人と、某英国で女王陛下万歳を叫ぶ人とでは、言葉の持つ意味がたぶん違うだろう。表現家が時として過激な表現に固執するのには、その表現そのものに必然性があると言うこともあるだろうが、その表現がなされないとそれ以外の表現とて真実味を帯びないからであったりもする。私は幼児の強姦マンガを読むことはおそらくないであろうし、子供に見せたいとは思わないが、だからと言ってそれを描いた人が逮捕される社会であってはならないと思っている。絵や言葉や思想は自由が保証されていないといけない。それであって初めて、それが実際に何を突き付けているのか、現実に何がなされてよくて何がなされてはいけないかを議論することができる。それが憲法が守ろうとしたものであったはずだ。
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2009年04月22日

タダの音楽の動機とか

昨日の自分語りは前フリと言うことで…。

そんでもって多様性を脅かすような動きはどうかと思いますね。
新しく音楽を始めたばかりの人、実験する人、ユルく音楽を楽しみたい人等々、いろいろな方が投稿するからこそ、場が豊かであるのだと思います。
作り手に音楽を売るつもりがないからと言って、聴き手がBGMや癒しなどに「消費」するのに適した音楽を作るよう、作り手がただ働きをしなければならない謂れはないわけで。
ボランティアだって最初から期待されたら、するのが当然だと思われたらやりたくないものですよね。
「消費」するのに適した音楽が欲しい方は、やはり然るべきところで売られている音楽をお金を出して買われたらいいのではないかと思います。
タダの音楽ウマーと言う方は、それはそれで結構だけれども、場のことを考えたら大人しくしているに限ると思います。
作り手の見えないところでどうこう言う分にはいいですが、作り手に対して注文をフィードバックするシステムを作るのはあまりよろしくないかと思います。

「再生数」や「マイリスト数」が作り手の報酬として機能しているなんて言うのは、一方的で身勝手な解釈だと思います。
「アーチスト」ぶるなと言いますが、手軽に、しかし純粋に「アーチスト」として存在できること以外にああいった場にいる動機はないわけで。
「アート」ってテロなんですよね。
人を驚かして何ぼの喜びで、こう言うものを作ってと言われて作るものじゃない。
それは商業音楽の場では許されなかったことだからこそ、本来なら商業音楽をやっていてもおかしくないような作り手の方までが場に参加していらっしゃるんだと思います。
商業音楽のルールや価値観がそのまま移植されたら、面白くないと思う作り手の方は決して少なくないと思います。
純粋な受け手の方は、作り手を動かしているそうした動機が理解できない、だから、一度作ってごらんなさい、投稿してごらんなさい、と言うことなのかな、と僕は解釈しました。

もちろん作り手にもいろいろな方がいらっしゃるので、一概には言えませんが。
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2009年04月21日

麻薬とファッションの狭間

酷い釣りタイトルでしたね、サーセンw

発作的にアーチスト気取りで電波なことを書いてみたくなりましたw
誰も聞いてないですよねww たまにはいいじゃないw 
って足元見つめたくなった、ってのもあります。

何で音楽作ってるのか…。

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2009年04月13日

音楽とビジネスなんかについて思うこと

自分はお金を受け取るようなレベルの音楽を作っていないと思うので、これはあくまでも他人事の想像でしかないけれども、もしニコニコミュージシャンなんかの生活を金銭的にサポートしたいとおっしゃるなら、僕が希望する世界は、音楽の対価として受け取る一握りの小銭のために必死で受けを狙って競争させられるよりは、音楽を作りたい人が、平日9時から5時までだけのほほーんと働いて、土日はしっかり休ませてもらえるような仕事がどこかにたんまりあるような社会かな。
そう言う時代が来るのはいったいいつの日のことなのでしょうね。

そう言った社会を共産主義的と言ってしまえば確かにそうなのかも知れないけど、自分が作りたい音楽のことをあくまでも中心に考えたらやっぱりそうだよなあと言うことで。

金銭サポートとか声高に叫ぶくらいなら、そんな社会を実現する方向に向けて努力してくださったらいいのに、と僕なんかは思います。

せめて個人が思うところあって勝手に引きこもりとかフリーターとか自分探しとかやっているのにいちいち難癖付けたり、無理矢理引きはがしたりするようなことがない社会であって欲しいですね。

身を立てることだけが人生の目標じゃないんだから。

生計を立てられない作品を作ることだって人生の立派な目標だってこと、そのために一定期間だけ働いて仕事をやめる人がいると言うことを、価値として認めることができる成熟した社会であって欲しいです。

経済至上主義には抵抗するぞー!

はてブのコメとかで音楽家の味方のフリして音楽の対価、対価とか言っている人は、ほんとうはお金転がすビジネスにこそ興味あるんじゃないか、なんてうがった見方をしています。

あとコピーライトに関して、音楽をやっている人だって、サンプリングとかもっと自由にさせろとか、廃盤ぐらいコピーさせろとか等々、緩めて欲しい要望だっていっぱいあるんですよ、ほんとに。

どうでもいいけど対価、対価とか言ってる人に、作り手の見方であるかのような顔をされると自分なんかは何かと腹立たしかったりするので。まあいろいろな人がいると言うことで。
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クリエイティブ・コモンズについてメモ

以前、自分のサイトで配布するコラボ作品のmp3にクリエイティブ・コモンズ(CC)のライセンスを付けてよいかをコラボした相手の方にお尋ねしたことがありました。

ダウンロードしたmp3をどのようにしてよいか、予め指針を呈示しておくのは利用してくださる方に対しても親切かと思います。

また、以前にあったカラオケだったっけ、着メロだったっけ、何かの騒動みたいに、大きな相手に知らないところで勝手に利用されたくなかったら、自衛として宣言しておく意味はあると思います。

具体的には表示-非営利(CC-BY-NC)を現実解としてご提案して、おおまかにはご了承くださったのですが、ただ一点、

・いつか我々がCDを出すときに「非商用」の条項が壁になるってことは
ないんでしょうか?

と言う問題について尋ねられました。

なるほど、これは初めてクリエイティブ・コモンズ(CC)のライセンスを付ける時によく戸惑う問題かも知れませんので、その時にご説明したことをメモとしてここに書いておく意味はあるかも知れません。


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2009年04月03日

ミクを巡っての錯綜

自分がミクに興味を持つようになったのは、やっぱりこれかなぁ↓



ほんと素材からしていろいろな文化的背景のものが入り混じってできてるでしょ。オタク系ありーの、サブカル系ありーの、DTM、カットアップ、3Dアニメーション、初めて見た時に、その新しい可能性にとても感動したんです。素直に。そんなわけで、(最近は久しく更新していませんが)お気に入りのマイリストにも「境界溶融中」と言う見出しを付けていたりします。

thvenrさんがご自身のブログで安藤健二さん(ってsansuiPさんw)がオタナビと言う雑誌に書かれた記事について触れていらっしゃるのですが、


「ニコニコにたくさんいるのはアキバ系のオタク(つまり萌えオタ?)で、サブカル系の動画は広い人気が出にくい」とか言う苅田狼藉の方のご指摘は確かに面白いですね。

人々はまた違う言葉を話し始めているんですね。よくわからないですが、ロックカルチャーなんかをサブカル系とおおまかに言っていいのかな? としたら僕のうろついているところはおよそサブカル系の土壌なんだろうと思います。耽美主義かどうかと言うよりは、拠っているところの美学が違うんじゃないかなぁ。

この間からはてなブックマークなんかを賑わせている記事のコメントなどを見ていて、ちょっと歯痒く無念に思ったのはミクは何もオタクだけのものでもないですよ、メインストリームではないけれどもまた違ったミクの世界と言うのもまた、小規模ながらも無視できないくらいにはあるんですよ、ってことを、ご存じにならないで朝日新聞の記事や特集ユリイカのボカロのイメージで、決めてかかってコメントを書かれている方々には多少なりとも知って頂きたくなりました。安藤さんの記事も同じような想いから書かれているんだろうと思います。

それでオタク界とサブカル界はやっぱり完全には閉じてなくて、時々は境界を超えて行って、お互いに目や耳にしたりする。そうすると新しい反応が起こったりする。それはプラスの交流の場合もあるけど、反目や軋轢である場合の方がずっと多いのは仕方がないのでしょうね。それでも時として何かしら良い刺激を与え合うことができれば、時には面白い果実だって期待できるのでは、なんて風に思います。お互いステレオタイプに分けて決めてかかるのはどうかと思うんですよ。皆オタク的なところもサブカル的なところも大なり小なり合わせ持ってるし、よいものなら届きます。

さて、明日4月4日に、僕の周辺の方々がちょっとした「お祭り」を企画しています。「時田トリビュート」と言って、主にぷれいらPさんが陣頭を執って下さっているのですが、僕もよくお世話になっている、個性的な絵を描かれるイラストレーターでいらっしゃる時田さんの旗の下に集まった有志35名が、時田さんの絵にインスピレーションを得た楽曲を作成して、それを一斉にニコニコ動画に連ねてアップロードしようと言うたいへん楽しみな企画で、僕も僭越ながら参加させて頂くことにしました。

参加される音楽家の方もまた、たいへん個性的な音楽をお作りになる方々ばかりで、時田さんの独特の絵の世界と合わさって、よく知られているメインストリームのボーカロイド文化とは別のもう一つのボーカロイド文化が世の中に存在することを、知って頂くためのちょっとしたマニフェストになるかも知れません。いやたいていの方は知らなくったっていいのですが、知ってよかったと思える方だって中にはきっといらっしゃるに違いないと思います。

いやあ対岸の火事はひとまず鎮火するのを待つしかないでしょw あれじゃ構うに構えないって。通行人が酔っぱらいに絡んで論戦挑むのもまた大人気なく見えますねー。

あとそれからLive8出てた。
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2009年03月09日

ルカを巡る箇条書

・ミクはロックだ。ソフトがアニメ声で歌う音楽はそれ自体、既存の「かっこいい音楽」に対する挑発的表現でもある。

・ルカは人間の声に歩み寄っている。その分媚びとも取れる。

・ルカは電子音楽で用いるにはどうも有機的すぎる。電子音楽でルカを歌わせるにはもっと無機的に歌わせた上、エフェクト処理を施す必要があるようだ。
・これは人間の歌声についても同じことが当てはまる。人間が電子音楽で歌う時には無機的に歌わなければならない。素のルカよりも無機的に歌わなくてはいけないし、エフェクト処理を施す必要がある。
- なぜ無機的に歌わなければならないのか? 民謡歌手のように徹底的にコントロールされた有機的な歌い方はまたそれはそれでフィットするように思う。コントロールされていない、無意識的なこぶしみたいなのが、とても相性が悪い。声だけが「コントロールされていない」ことが目立つように思う。
・つまり無機的に歌うルカと無機的に歌う人間と言うのはどっこいどっこいである。エフェクト処理を施すと、おそらくほとんど区別がつかないようにすることも可能である。
・この人間テクノボイスもどきボカロを用いることで、おそらくそれが人かボカロか、と言うことは音楽自体からは不問にできる。その意味においてはルカを用いることは十分戦略的と言える。

・では逆に歌っているのが人間である事実と言うのはどれだけ意味のあることなのか? と言う問題が出てくる。
・次に、ボカロを人間の歌声に似せる必要ははたしてあるのか、と言う問題がある。
・歌とは何か? なぜサックスやファズギターでなくて歌なのか?
・どこから歌でどこから楽器音なのか?
・歌はセクシャリティの問題と分離できない。
- ちなみに僕自身は女性の歌声に関してどうも男性の歌声よりも選り好みが激しいように思う。女性のコントロールされていないこぶしを聴くとむしずが走ったりするのは、やはり異性の声に対してはより敏感になるからだろうか? 素のルカの歌い方はどうも僕のタイプじゃないみたいだ。最初、声がいいと思うのだが、付き合っているうちに破局に至りそうな感じ。ルカの配慮ないこぶしを聞いていると浅はかな印象を持ってしまうのである。そんなルカでも精一杯抑制して、エフェクト処理を施してやった歌声は初めて好きに思った。己れを知ってコントロールしている様子に好感を抱いた感じである。けだるい、ぶっきらぼうな、アンニュイなルカは好きかも。
- 100人の人に歌ってもらったとして、そのうちにどれだけいいと思う人がいるか? 思い描くような理想の歌い方をする人がどれだけいるか? 拒絶しなければならない歌い方をする人がどれだけいるか? 自分の理想ではないけど、許容できる、個性として尊重できる歌い方をする人はどれだけいるか?
- ミクもルカも自分の100%理想ではないけれども、許容できる。個性として尊重できる範囲の歌い方をしてくれる。僕はミクのアニメ声が嫌いだし、ルカのこぶしも嫌いだ。でも許せる。許せる度合は、今はたぶんミクの方が高い。

うーん…とりとめないメモですみません。自分でもよくわかっていないことがよくわかりました。考えがまとまったら書き直してみようと思っています。
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2009年03月02日

ルカは人間的過ぎ

ミクがTR-808だとしたら、ルカは909通り越してリンドラムくらいの感じで人間に近いかも。

まるでUAみたいなセクシーでチルな声になりますね。
UAは大好きなので、それはいいんですけどね。

でも、予想だにしなかったのだけれども、こんなに人に似過ぎていると、かえって僕の表現したいものには向いていないかも知れない。
ミクは中性的だったけど、ルカはまさに"I'm a woman."と言う感じの声なんですよ。
女性のアイデンティティとどう向き合うのかと言う問題を避けて通れないような気がしています。




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2009年02月23日

モニター用ヘッドフォン

以前にゼンハイザーのHD205と言うヘッドフォン使っていると書いたもので、検索して来られた方がいらっしゃって、参考までにアップデート書いとこうとます。

最近同じゼンハイザーのHD280Proと言うのを導入しました。8Hz-25kHzまでカバーしているモニター用ヘッドフォンです。
これでわかったことは、今まで超高音域と超低音域の音が聴こえていなかったんだなぁと言うことです。
「地底舞踏会」のミックスを良いと言ってもらいましたけど、これはモニター環境を変えたことによる影響が大きいかと思います。

モニター用ヘッドフォンは耳によくない音が出てるし、実際聴いていて気持ちのいいものではありません。と言うわけで今でもリスニング、演奏はHD205です。ミックスだけHD280Proみたいな使い方です。
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2009年02月18日

村上春樹のスピーチ

村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチの「壁と卵」の話、いろいろなところで話題になって称賛を集めていて、何も自分がこんなところで触れることもないんだけど、やっぱり普通に感動した。



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2009年01月16日

Max for Live

ずっと前から何かやってると言ってたんですが、とうとう発表されましたね。
http://www.ableton.com/extend
http://www.cycling74.com/story/2009/1/15/112356/711
Live8のアドオンらしいですが、価格的にはどうなんでしょう? Max/MSP持ってても優遇とかないのかな?
Max5へアップデートはしばらく見送ってお金貯めときます。
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2009年01月06日

ルカ

クリプトンメディアファージ事業部ブログより
"CV03の名前について"
「作り手の意図が、(より多くの人というよりは)より文化の違う様々な人が聞いてくれるかも知れないという方向に向かい、我々が文化の違う民俗音楽を聴いた時のような新鮮な違和感(異国の空気感)を『巡音ルカ』が運んでくれる事を期待します。

日本人にとっての英語歌詞の意味、英語圏に人にとっての和製英語のフレーズの聞こえ方、そして機械による歌声の賛否など、聴く人の立場(文化)によって全然違う意味に聞こえる音があると思います。今回は、それがインターネット上で紡がれて行くことを踏まえて、『巡音ルカ』の歌が様々な人たちのPCで"流れて"欲しいなと思います。」
http://blog.crypton.co.jp/mp/2009/01/vocaloid2cv03_1.html

とのことで、ボカロ音楽の置かれている現状(ボカロ・コミュニティ外部に波及しないこと等)をもふまえて、異文化が様々な人に受容されて欲しいと言うスタッフの熱い想いには感銘を受けました。

僕はミクを、ある意味ミスマッチゆえにたいへん気に入ってるのですが、ルカの開発コンセプトに賛同して、もしより多くの(と言うよりは違った)人々の耳に触れる可能性があるならば一度ルカを試してみようかなと思いました。
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2008年12月18日

シンセサイザーとしての初音ミク

これもまたよく耳にするフレーズなんですが、正直何のことかあんまりぴんと来ないんですね。
ミクに想定されていない発音をさせてみないかと言うことなんでしょうね。

うーーん、でも私はそう言う使い方にはどちらかと言うと懐疑的だったりしますね。
歌って、インストものに比べるとがぜん文系的な要素がいろいろ加わりますね。心理学とか文学とか歴史とか社会とか。
音響心理学的に人の声と認識されない領域の音を敢えてボーカロイドで作る意味は今のところもう一つわからなかったりです。
人の声にこだわらないのなら普通のサンプラーとかシンセとか使った方が自由度高いですよね。LFOとかモジュレーションもかけられるし。
何か面白いとしたら、人の声には聴こえない音と人の声と聴こえる音とに繋がりが見出せたら面白いと思うんですが。
でもそれを結局は後処理エフェクトでやるんだったら、ボカロよりは人の声のフレーズをそのままサンプリングしてやった方が音自体の表現力も高いし、狙いが鮮明になるんじゃないかなぁ、なんて思います。
MikuMikuVoiceなんかで、ボーカロイドソフト自体をエフェクターみたいな使い方できたら面白いかなとは思うのですが、実際にやってみるとなかなか思うようにはいかなかったりします。

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2008年12月16日

ほんとに駄文

ユリイカの特集、実はまだ買っていません。本屋さんの店頭で1冊だけ見かけて、鈴木慶一氏が音楽のプロについて語っているところをちら見した程度です。その部分はとても面白そうだったけど、レジに持って行くの、何だか恥ずかしくて。

私が学生の頃、自分の数少ない音楽友だちが、プロミュージシャンに成りたい、と熱く熱く語るのを聞き流しながら、はて、自分はプロに成りたいんかいな、と一度くらいは考えてみたことはあります。まあ成れるかい、と言う問題が端からあってお笑い草なのですが、成りたいのか、成るために努力するのか、と言うことを考えてみると、自分は成りたいわけではないな、と思ったような記憶があります。

当時も音楽作るの好きでしたけど、音楽研究室にこもって純粋音楽を作りたいわけではなかったです。音楽家であるより前に詩としての音楽に憧れていたように思います。当時はプロになることで、その詩の部分が嘘になるような気が何となくしていました。音楽の詩的世界と言うものが、専業音楽家と言う特殊な人生に立脚した世界観ばかりだったら何だかつまらないな、みたいなことを思っていました。だから、自分は音楽と違う何かで生計を立てて、その人生から見た世界観を音楽にできたらな、と思いました。

でも当時は音楽を人に聴いてもらおうと思ったらプロになるしかなかったんですね。思えばいい時代になったなぁと思います。ニコ動ミュージシャン見てるとみんなとても楽しそうに見えますね。事実私も今年ほど音楽が楽しかった、そして生活上大きな意味を持った年はなかったです。

こんなこと書きましたが、私は商業音楽を否定するつもりはなくて、お互い違う立場を尊重し合えたらな、なんて思っています。経済的なサポートがないと到底作れないようなすごい音楽を作っていらっしゃる方を私は何人も知っています。そう言う方はきちんとサポートされて欲しいです。ですが売れないけど皆で楽しんで作る音楽と言うものが生息できる空間は、それはそれで大切にして欲しいです。「コンテンツ」と言う言葉を耳にする度に、そう言う言葉を使われる方はきっと箱屋さんなんだろうな、と思い、結局容れ物の方に興味があるのだったら仕切るのはやめて欲しいな、なんて密かに思っていると言うのは内緒です。

あと生活から生まれる音楽と言えば、それは「フォーク」的な音楽を指すのだろうと思います。ただ、昔の日本のフォークとかって、私はそんなに聴いたわけではないですが、子供の私には皆どれもよく似たような感じに聴こえてたんですね。ギター一本で歌ってたりするからかも知れませんが、反体制と言っても、それが結局アンチ勢力へ付和雷同することに短絡された時代を象徴する音楽なのかも知れないな、なんて思ってもみたりです。今の「フォークトロニカ」って何なのか、よくわかっていないのですが、常に自分の音、自分の言葉を探し求めて歌うことを求められる「フォーク」ならば、それは自分の求めていた音楽の理想の形なのかな、なんて思ったりもします。
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2008年12月06日

早く人間になりたい

某Pさんの日記経由で、ユリイカの初音ミク特集号なるものが発売されると聞いて、今からすごく楽しみにしています。

初音ミクについてはもういろいろ語り尽くされたと思うし、これも既出かも知れませんが、一つだけ言っときたいな、と常々思っていることがありました。

初音ミクは人間ではありません。多くの場合においてはおそらく人間の代用です。(中にはそうでない、と言われる方がおられるのも承知しています。) よく言われる「調教」と言う言葉は、人間でないミクを人間に仕立て上げようとあがく欲望が支配的であることを物語っています。

で、初音ミクムーブメントがこれだけ盛り上がったのは、ミクが人間でない、所詮人間の代用に過ぎない、自分たちは出発点からしてB級なんだと言う開き直りが強みに作用したのではないかな、と思うんですね。ミクで曲作る人は、始めから妥協を原罪みたいに背負ってるわけです。

つまり作る側も聴く側もプロの完ぺきさなんて最初から期待していなかったわけで、だからこそ稚拙なものでも半端なものでもでどこかに光るものがあれば、歓迎し許容していったのだと思います。そう言ったユルさは、作る側には自由な発想で大胆な冒険を、聴く側には寛容を促したんだろう、と思います。これまで市場に出回っている音楽と言うのは皆完ぺきを期して作られていたわけですが、完ぺきから程遠い音楽にこれだけの生き生きした魅力があることを、初音ミクムーブメントに接した人々は皆気付かさせられたんですよね。

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2008年11月10日

ネットアルバムがどれくらい聴かれたか?

「がらんどうで祈りを」をリリースしたのが6月23日のことで、それから約数ケ月を経たのですが、こう言うやり方でどれだけの人が実際にダウンロードされたのか、音楽を作っていらっしゃる皆さんにはとりわけ興味あることではないかと思います。残念ながらそんなことはわかりません。目安となるのが、アルバムページへのアクセス数をおいて他にないですし、このページをブックマークしていて毎回ここ経由でいらっしゃる方もおられるでしょうし、ページを開けたけどやっぱりこれは自分の趣味じゃないわとか言って閉じられた方も相当数いらっしゃると思うからです。でもまあそんな目安で良ければ、だいたいどれくらいの方がアルバムページにアクセスして下さったか、だいたいの収支報告みたいなものをさせて頂きます。

AlbumAccess081110.png

だいたいこんな感じです。11月10日現在336アクセスです。少ない数字に思われるかも知れませんが、自分が思っていたよりはずっと多かったです。

手応えも結構あるんですよね。アルバム聴いたよ、なんて言ってくださる方が意外にいらっしゃって、とても嬉しいです。自分のすごく少ない動画の再生数なんかを考えると、たぶん予想以上の方から興味を持って頂いているんじゃないかと、十分満足できる感触を得ています。物理的なCDパッケージがなくて残念だ、なんて不満は一度も聞いたことがないです。印刷して頂いたサンパチさんのジャケ共々、可愛がって頂いている様子などを聞くと、作り手としては感無量で嬉しい限りです。と言うわけで送り手も聴き手も双方共に気軽で元手の要らないネットアルバム、ちょっとお勧めかもですよ。

聴いて下さった皆様、ありがとうございました!
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2008年10月21日

「癒し屋の女」の世界

今回は結構作為的に狙ってやった創作のつもりだったのだが、それでも大事なことがまだ意識から抜け落ちていて、この歌詞に歌われている世界は結局こう言うことではないかと理解できるようになったのはつい昨日のことだ。

まず、作詞している時はよく考えなかったけど、「桐の葉」とか「戦野原」とか言う言葉がリアリティを持つとしたら、舞台はどうも現代じゃない気がする。そう言えば時田さんのイラストも、枕の描かれ方とかがどこかちょっと昔の日本みたいな感じがする。

歌詞に桐の葉が3回も登場するのはそもそもははっきり言って手○きと言うか、他に適当な歌詞を思い付かなかったとか、そんな程度のことで、別に大事なことだから3回言ったわけではなかった。でも後になって思えばこの「桐の葉」に託された意味と言うのはこの歌詞世界において鍵であるような気がする。

「癒し屋」とクライアントの関係はビジネスのドライな関係である。癒し屋がクライアントに託した桐の葉は、そうしたビジネスの関係から逸脱するものであり、もう一つの世界が可能であることを示唆するものだが、それが効力を発揮するかは戦地へ赴いたクライアントの意思に委ねられている。

みたいなことを後になって考えた。

それからこの癒しと言うのは差し違えるような、危険を伴う行為なんじゃないかな、などと思うようになった。これは時田さんのイラストからそう教えられたのかも知れない。

いや、こんなこと作った人がぺらぺらしゃべるのは一般によくないんだろうけど、でも作った本人以外はそんなことは顧みない、どうだっていいだろうと思うし、結局書いた方が面白いかな、と思って書いてみました。解釈の仕方はいろいろあって皆平等ですので、どうぞ自由勝手にしてください。

あすなろPさん、マイリストでの解説ありがとうございます。
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2008年09月26日

まじめだね、って言われたんだけど。

音楽に限らず、芸事って広い意味でのファッションとかモードなんだと思う。はったりかまして人をだましてなんぼ。便器だって美術館に展示すればアートになるように、文脈の勢いって大事。空っぽのものをいかにありがたいものであるかのように見せかけるかは、それもアートのうち。そう言うことをやろうと思ったら、自分の表現を構成するものが、発表する場において、どう言う文脈的意味を背負っているかわかっているのは重要。

音楽の場合は、それが演奏や曲のスタイルだったり、特徴的な音色だったりするわけ。そんな文脈を前提とする音楽をやりたかったら、やっぱりそれなりにその伝統社会に溶け込んでスタイルを学ぶ修業が必要になるわけでしょう。ジャズや民謡はもちろん、ダンスミュージックとかだって確立したスタイルにこだわればDJ修業とか要るわけなんでしょうね。

でもkyな自分は明らかにそんなのには向いていないわけ。決まりごとを勉強するだけの根性やだいたいモチベーションもない。だから文脈フリーの音楽しかやれそうにないのね。そうしたら今の世の中ではやる音楽は自然と何ちゃってエレクトロニカトカになるの。そこではめいっぱい自由が許されてるわけだし、俺様スタイルで自由だーって感じを満喫したいと思ってます。

アートってテロと同じで人驚かして何ぼだと思うの。だからほんとは爆弾作ってる舞台裏明かしたら駄目なの。願わくは神秘のベールで覆っておかなきゃだめなの。調律に興味あります、とかグラニュラー研究中です、とかブログに書くのは表現者として失格なんだと思いますw だいたい不粋ですね。

ただ、自分は今は表現者としての関心だけじゃない部分もあって、ネットのシーンとかムーブメントとかに対する関心もあったりして、全体として盛り上がらないかな、と言う期待も込めて手の内を曝してます。大きなお世話でサーセン。

あと自分の定義ではアートってそれ自体、前衛であることを前提に含んでいるような気がしますね。何らかの意味で既成の枠を超える挑戦がなかったらそれはアートでなくて過去の伝統芸能、伝統工芸品であるような、イメージかな。前衛って言うと何だか大それたものになってしまいますから、自分を閉じ込めている個人的な殻に対する挑戦と思ってもらったらいいかな(ここで殻と言ったのは技術的なことに限ったことではないです。むしろ発想とか。) とても個人的な意味の「前衛」です。伝統を修業で学ぶ代わりに自由への飽くなき挑戦があると言う、、、と書くと俺ってカコイイ?

(追記)
蛇足ですが。前に書いたこと ( http://irijako.seesaa.net/article/104443766.html) を読み返してみると、何だかブレがあるようにも読めますね。実際にはどちらも「自由」に重きを置いているので、ブレてはいなくて一貫性があるとは思うのですが。言い足りなかったことを付け加えます。

うんこするのは大事、って言う話です。

音楽って必ずしも上で書いたようなアートでなくてもいいし、むしろそんなアートとかじゃない衝動的に出てきたものの方がやっぱり力強いように思います。僕も本当にうんこがしたくなった時は小細工なしで力強くうんこをしようと思います。たぶんそんなうんこみたいな音楽の方が他人の心にも届くんじゃないかな。

ただ残念だけどうんこって四六時中したいわけじゃないですよね。トイレでしゃがんでいても出ないことだってあります。いや一日を通算したら、うんこの出ない時間の方がずっと多い。いや、よかったです。そんな時に無理矢理屁をひねり出したところで、しゃあないん違うの?と思うわけです。

だからと言って心の奥底から突き動かすような自然な無意識的衝動が無ければ音楽はできないのかと言うと、音楽の地平ってそんなに貧しいものでもないと思うんです。弦かき鳴らして、ほんのり気持ちいいな、とか、逆に何だか不気味だとか、そう言うのもまた音楽だし、だから意識的にコントロールされた作為的なアート表現としての音楽が存在するだけの余地があるのだと思います。
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2008年08月09日

我が音楽道

ボカロ音楽と言うこの新しいジャンルも円熟期に入ったのか、最近はお付き合いのあるPの方々なんかが日記などで曲作りの苦悩を打ち明けられることが多くて、その考え方は人様々で興味深く、そう言うのを伺うのは実はとても面白くて大好きだったりする。他人様が苦しんでるのを、ああ美しいなあなんてにやにやしながら楽しんでいる嫌なやつである>自分。

ただここのところ少し気掛かりなのは、特に日本人にありがちな傾向として、他人がかくかくしかじかでありたい、みたいなことを言うと、自分もまた同じくそうあらねばならないのではないかと考えてしまい、皆でして物事をかしこまって難しく考えてしまうのではないかと言うことだったりする。そうやって皆が皆してがちがちになってしまうと、ユルい音楽みたいなものが生息できない環境に成ってしまう。これはとりわけ、ミクを通じて音楽を始められる方々を多く見るにつけても、あんまり音楽道を説き過ぎるのもどうかな、なんて思ったりもする。

結局芸術論なんて、随分と個人的な問題なんだよね、たぶん。これは自分の芸術論でもあるんだけど、趣味の音楽なんて自分の楽しいように好き勝手やればいいんだと思う。鼻歌だとか、ドラム缶叩きとか、素朴で衝動的な音楽の持つパワーは誰も否定しないよね。ユルくて上等! でもそう言うのばかりやってると飽きが来るから、そのうち新たな要素を持ち込んでチャレンジをしたくなるわけ。それは自分がチャレンジしたいだけなんであって、誰にも課題を強制したり、されたりするいわれはないはず。また一方で、衝動とかに全然縁のない、感情を取り払った音楽と言うものだって世の中に存在していい。

そう、何をどうやるかはとっても個人的な問題なんだ。だけど、自分も含めて人は皆不器用なものだから、音楽とはかくかくしかじかであってはいけないとか、かくかくしかじかでなくてはいけない、みたいに、ついつい一般形で自分の決意を表現してしまうわけ。それ自体は全然悪くない、どんどんやったらいいんじゃないかと自分は思う。ただ、そう言うのは、他の人にとっては多くはナンセンス。だのに問題はそれを聞く人が、それを他所様のこととしてスルーしないで、ついつい自分自身の問題としてまともに向き合ってしまうことにあるんじゃないかと思う。この手の話は、いったんループし始めたら、実際に音楽作った方が早かったりする。

自分は新しい技術や表現スタイルにも興味があるけど、それはかくかくしかじかでなくてはならない、と言うよりは、新しい大喜利のお題を頂戴するようなもの、と思うようにしている。自由な次元が一次元増えたら、それでどう遊ぶか、妄想するわけだから。

つまらないことエラそうに書いてすみません。自分の考えを整理するために書いています。

(追記)
やっぱり何か語弊があったみたいで、少し心配です。間違っても音楽論を説かれる方を批判する意図は全然ないのです。他の方の創作に関する考え方を伺うのは私自身大好きですし、そう言うのを聞くのはとても勉強になります。思う存分やられたらいいのにと思います。そうではなくて、これを書いたのは、つい他人に合わせて自身を束縛してしまう、集団主義的な日本人の心性そのものを危惧してのことです。言葉を受け取る側がタフになるといいと思っています。ご自身が批判されたと受け止められた方がいらっしゃいましたら、私の言葉足らずです。ごめんなさい。
posted by irijako at 08:37| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月04日

「浸蝕」とチューニング

「浸蝕」なんですが、ちょっと修正したバージョンとmp3を差し換えました。
http://irijako.seesaa.net/article/103284833.html
(今聴き直したら、やっぱり前のバージョンの方がミックスがいいような気がしてきました。ごめんなさい。もう少しがんばって見ます。)
8/9 現在、vers 1.6になって、ようやく自分でも満足できる感じになりました。

この曲はいろんな調律をごちゃまぜにして使った作ったので、作った当初は良かったのですが、聴き込んでいると何だかこちらの体調によっては、チューニングのずれがやっぱり気持ち悪く聴こえたりして、気にはなっていたのですが、手直しする時間が割けなかったのでダンマリを決め込んでいましたw 
さて、ちょっと時間ができたので、鳴っている音のピッチを表計算ソフトに入れて、整理してみました。おかしな音は修正し、近いピッチは統合する、みたいなことを試みたのですが、実際にやってみて思ったのは、一度曲にしてしまった音のピッチと言うのは必然性があるもので、思ったよりも動かせない、動かしてしまうと、曲の感じががらりと変わってしまう、と言うことです。

そしてバックのトラックに用いたピッチは修正バージョンでは結局のところ、

0 cents 1/1
14 cents
66.1699 cents 80/77
90.225 cents 256/243
294.135 cents 32/27
498.045 cents 4/3
701.955 cents 3/2
745.7861 cents 20/13
764.916 cents 14/9
779.403 cents 80/51
782.492 cents 11/7
792.18 cents 128/81
796.4599 cents 160/101
813.886 cents 8/5
996.09 cents 16/9

これにプラス、平均律で歌っているミク、のようにになりました。
感覚的に作ったので、これらのピッチの理論的な根拠はさっぱりわかりません。デチューンが気持ちいいだけなのかも知れません。自分がレベルアップすれば、あの頃は独り善がりで変なことやっていたな、ってことになるんでしょうか?

あとミックスがどうもうまくいかなくて、苦労しています。だんだん耳がおかしくなってきて、判断が付かなくなってきたので、いったん打止にして上げておきます。
ひとまずOK
posted by irijako at 02:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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