・ミクはロックだ。ソフトがアニメ声で歌う音楽はそれ自体、既存の「かっこいい音楽」に対する挑発的表現でもある。
・ルカは人間の声に歩み寄っている。その分媚びとも取れる。
・ルカは電子音楽で用いるにはどうも有機的すぎる。電子音楽でルカを歌わせるにはもっと無機的に歌わせた上、エフェクト処理を施す必要があるようだ。
・これは人間の歌声についても同じことが当てはまる。人間が電子音楽で歌う時には無機的に歌わなければならない。素のルカよりも無機的に歌わなくてはいけないし、エフェクト処理を施す必要がある。
- なぜ無機的に歌わなければならないのか? 民謡歌手のように徹底的にコントロールされた有機的な歌い方はまたそれはそれでフィットするように思う。コントロールされていない、無意識的なこぶしみたいなのが、とても相性が悪い。声だけが「コントロールされていない」ことが目立つように思う。
・つまり無機的に歌うルカと無機的に歌う人間と言うのはどっこいどっこいである。エフェクト処理を施すと、おそらくほとんど区別がつかないようにすることも可能である。
・この人間テクノボイスもどきボカロを用いることで、おそらくそれが人かボカロか、と言うことは音楽自体からは不問にできる。その意味においてはルカを用いることは十分戦略的と言える。
・では逆に歌っているのが人間である事実と言うのはどれだけ意味のあることなのか? と言う問題が出てくる。
・次に、ボカロを人間の歌声に似せる必要ははたしてあるのか、と言う問題がある。
・歌とは何か? なぜサックスやファズギターでなくて歌なのか?
・どこから歌でどこから楽器音なのか?
・歌はセクシャリティの問題と分離できない。
- ちなみに僕自身は女性の歌声に関してどうも男性の歌声よりも選り好みが激しいように思う。女性のコントロールされていないこぶしを聴くとむしずが走ったりするのは、やはり異性の声に対してはより敏感になるからだろうか? 素のルカの歌い方はどうも僕のタイプじゃないみたいだ。最初、声がいいと思うのだが、付き合っているうちに破局に至りそうな感じ。ルカの配慮ないこぶしを聞いていると浅はかな印象を持ってしまうのである。そんなルカでも精一杯抑制して、エフェクト処理を施してやった歌声は初めて好きに思った。己れを知ってコントロールしている様子に好感を抱いた感じである。けだるい、ぶっきらぼうな、アンニュイなルカは好きかも。
- 100人の人に歌ってもらったとして、そのうちにどれだけいいと思う人がいるか? 思い描くような理想の歌い方をする人がどれだけいるか? 拒絶しなければならない歌い方をする人がどれだけいるか? 自分の理想ではないけど、許容できる、個性として尊重できる歌い方をする人はどれだけいるか?
- ミクもルカも自分の100%理想ではないけれども、許容できる。個性として尊重できる範囲の歌い方をしてくれる。僕はミクのアニメ声が嫌いだし、ルカのこぶしも嫌いだ。でも許せる。許せる度合は、今はたぶんミクの方が高い。
うーん…とりとめないメモですみません。自分でもよくわかっていないことがよくわかりました。考えがまとまったら書き直してみようと思っています。
posted by irijako at 08:56|
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